パワハラ/アカハラに関与した学部執行部(2014年度時点)
井形浩治被告 池島真策被告 北村實元副学長 二宮正司元学部長 樋口克次元副学部長 田中健吾元学部長補佐 吉野忠男現副学部長
Information
吉 井 康 雄
CVS :
Certified Value Specialist
CMC :
Certified Management
Consultant
MCMC :
Japan Master Certified
Management Consultant
元、大阪経済大学 経営学部 教授
このページの意図は、
特任教員任用規程(旧規程)の申請資格を有する3名が、
特任教員推薦委員会に特任教員の申請をしたが、
結果的に、特任教員の機会を逸することになった、
3名の教授のケースは、例外中の例外に当たるケースであり、
特任教員任用における労使慣行存在の有無の議論からは
除外すべきケースであることを明示することにある。
.
例外中の例外の3名は、労使慣行の存在の議論から除外すべきという判断を導く根拠を
次の手順で明らかにする。
A)大経大の理事長・学長執行部は、特任人事に関する労使慣行の存在を尊重
A−1)井阪健一理事長および重森暁学長の特任教員における労使慣行の見解
A−2)山田文明学長補佐が説明する、特任教員任用規程の趣旨
B)原告が評価する、Aの結論
C)推薦委員会が取り下げた3名は、労使慣行を考えるうえでは例外中の例外のケースである
@ 里上譲衛教授のケース
A 森田寿一教授のケース
B 瀬岡吉彦教授のケース
D)原告が評価する、Cの結論
参考: 森田教授に適用された特任任用却下の手続き
A)大経大の理事長・学長執行部は、特任人事に関する労使慣行の存在を尊重
A−1)井阪健一理事長および重森暁学長の特任教員における労使慣行の見解
次の音声データおよびその反訳書を参照されたい。
2005年7月1日の合同教授会で発言された、里上譲衛教授の特任教授としての
再雇用をめぐる問題についての井阪健一理事長および重森暁学長の所信表明の資料である。
⇒
(甲25)2005年7月1日、合同教授会での井阪理事長、重森学長発言
⇒
(甲30)上記反訳書の音声データ、井阪理事長発言(11分10秒当たり、検索番号8)、
重森学長発言(13分24秒〜17分32秒当たり、同、10、12)
井阪理事長は次のように発言されている(甲25、検索番号8)。
「学長のほうから“教育上の”という言葉がありましたけれども、
私は推薦委員会で具体的な事項としてはそういうものが中心になると思いますけれども、
特任教員としていう場合には教育・研究だけではないと思う」
「ある領域に限定して協議してそれを超える問題があったか、という説明ですけれども、
私はそれは今後はその基礎にならないというふうに感じております」。
重森学長は次のように発言されている(同、検索番号10)。
「現行の特任教員規程では教育に関する任用基準と研究に関する任用基準だけになって
いて、それ以外のものはありません。」
「教育的な基準だけじゃなくて、もう少し幅広く基準を設けていくということが
教学の観点からも必要じゃないか」
と述べられ、検索番号21で
「今日こういう形で所信を表明する会を開いたのも、今回は、例外中の例外の問題で
あって、これまで本学がとってきた教授会自治を中心とする大学の在り方に
ついては、なんら変化がないことを申し上げるために開いた、といっても過言では
ない」
「今回のことは、例外中の例外というふうに受けとめて、従来からの本学の、
人事をする教授会と理事会との関係はなんらの変化はないということを
申し上げたくて開いたという趣旨です」。
A−2) 山田文明学長補佐が説明する、特任教員任用規程の趣旨
原告が、2012年10月19日、経営学部教授会終了後、山田文明学長補佐に
井形学部長・理事と池島副学部長・カリキュラム委員長によるパワハラへの対処を
相談した音声データとその反訳書である。
⇒
(甲24)2012年10月19日、山田学長補佐(経営学部)に原告の特任人事の相談をする
⇒
(甲29)上記の音声データ、14分56秒から15分52秒当たり、検索番号126、128を参照
仕組みとしてそうだということに立脚していますから、それはそうだとしてもね、
「定年が70だったのを67にした。その時の処置としてですね、希望者には70まで
いてもらうようにしよう。但し、給与は半分になりますよという処置だったんですよね。
でも、手続きはやはりそこで退職金も払うんですから、一旦打ち切って、
再雇用という形に学校としてはなりますと。それはそれでいいと思います。
ただ、趣旨としてはね、ご本人が希望されれば、これまで長い間役割貢献していただいた
ことからね、ちゃんとできる元気なお姿でいてもらえるなら、やってもらおうという
ことだった訳ですよね。
それをね、自分の好き嫌いでね、科目止めてですよね、人材はぐるのをやめるなんて
ことを理由にしてね、卑怯千万ですよ。」(検索番号126、128)
B)原告が評価する、Aの結論
上記の音声データとその反訳書より、理事会および学長執行部は、
特任教員任用にあたって、労使慣行の存在を尊重している。
次に、特任教員任用の機会を逸した
里上譲衛教授、森田寿一教授、瀬岡吉彦教授の3名は、
特任教員の任用における労使慣行の議論からは除外すべき例外中の例外であること
を以下に明示する。
C)特任教員の機会を逸した3名は、労使慣行の観点では例外中の例外のケース
@ 里上譲衛教授のケース
人間科学部の里上譲衛教授が理事会で特任教授として再雇用されなかった(甲13)。
原告はこれに至ったプロセスを、次のように補足する。
2004年10月29日、渡辺泉学長のもとで特任教員推薦委員会が開催され、
人間科学部学部長から里上教授の申請書類が提出され、
同日の教授会に特任教授として推薦され、同教授会で承認される。
同日、重森暁経済学部教授が学長に選出される。
2004年12月7日の理事会・評議員会で反対意見が出され、2005年3月15日の
理事会・評議員会で最終的に採用の件を理事長に一任するという決定がなされ、
同月22日、井阪理事長は重森学長立会いの下で里上教授に特任教授として
再雇用しない旨申し渡し、同日の学内理事会で了承されている。
同月31日「大阪地裁に地位保全の仮処分の申請を行った」と大学に連絡、
裁判に至ったケースである。
これについて、原告からみた被告大学側の真意を次の音声データの反訳書をもとに
明らかにしたい。
★ 2005年7月1日の合同教授会での、里上教授の特任教授任用取消に関する、
井阪健一理事長および重森暁学長の所信を下記に要約する(前掲の甲25を参照)
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@ 井阪理事長は、甲25(検索番号8)で、
「学長のほうから“教育上の”という言葉がありましたけれども、私は推薦委員会で
具体的な事項としてはそういうものが中心になると思いますけれども、
特任教員としていう場合には教育・研究だけではないと思う」
「ある領域に限定して協議してそれを超える問題があったか、という説明ですけれども、
私はそれは今後はその基礎にならないというふうに感じております」と述べている。
A 重森学長は、甲25(検索番号10)で、
「現行の特任教員規程では教育に関する任用基準と研究に関する任用基準だけに
なっていて、それ以外のものはありません。」
「教育的な基準だけじゃなくて、もう少し幅広く基準を設けていくということが
教学の観点からも必要じゃないか」と述べられ、
検索番号21で、
「今日こういう形で所信を表明する会を開いたのも、今回は、例外中の例外の問題で
あって、これまで本学がとってきた教授会自治を中心とする大学の在り方については、
なんら変化がないことを申し上げるために開いた、といっても過言ではない」
「今回のことは、例外中の例外というふうに受けとめて、従来からの本学の、
人事をする教授会と理事会との関係はなんらの変化はないということを
申し上げたくて開いたという趣旨です」と述べられている。
B 重森学長は、甲25(検索番号12)で
「学長選挙の問題で大学人としての資質には問題がありましたけども、しかし、
そのことが教育者としてのあり方を否定するところまでは至らない」と
里上教授の特任を退けた理由を説明されている。
なお、検索番号7で、森田教授に関しては「経済学部のもう一人の方の特任の否定は、
明らかに教育上の問題」と説明されている。
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A 森田寿一教授のケース
判決文の平成16年度に特任教授に任用されなかった経済学部教授Aとは、
経済学部の森田寿一教授である。
★ 彼の手続きは、特任教員任用規程(旧規程)のもとで次のように的確に進められている。
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・2004年10月29日、渡辺泉学長のもとで特任教員推薦委員会が開催され、
経済学部学部長から森田教授の申請書類が提出され、
特任教授として異議なく、同日の経済学部教授会に推薦される。
< … 同日、経済学部の重森暁教授が学長に選出される … >
その日の午後の教授会で、2005年度特任教員として継続審議となる。
・11月5日、推薦委員会は、「今後3ヵ年の講義計画」の書き直しを求め、
・11月12日、教授会は、再修正の講義計画をもとに継続審議、
・12月2日、推薦委員会は3回の教授会の議論を経て継続審議となる事実をもとに、
「所定書類が整っている」という事実のみの推薦ではなく、
明確な根拠を確認した上、再提案するとしている。
・12月3日、推薦委員会は、教授会に、推薦の再検討を報告し、実質調査する。
・12月9日、推薦委員会は全員一致で推薦しないことを決定、
・12月10日、教授会では推薦委員会の報告を受け、議題として扱わないこととなった。
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これが、被告側の提出資料からみた、森田教授の不採用に至った経緯であり、
旧規程にのっとった、手続きである。
原告は、手続き上の問題はないと認識する一方、次の点に懸念を抱いている。
特任教員を希望する有資格者の審議は学部共通の重要課題であり、
全学共通の審議の場である特任教員推薦委員会がその役割を担っている。
経済学部長は旧規程にしたがって、「3ヵ年の講義計画」に不備があるとして、
森田教授の特任申請書類の「書類の不備」を理由に、申請を退けている。
旧規程にのっとった手続きに問題があるのではなく、
「実態調査」で判明した、どのような事実が、
教授会に推薦できない理由かが明記されていないことが問題である。
すなわち、推薦しないことが目的で、
その手段として、形式上の手続きを踏んだと見做せるためで、
原告は、その事由を心配している。
そのように推測する理由は、
「3ヵ年の講義計画」は、定年を迎えるまで講義されていた科目の延長であり、
それが「書類の不備」となる根拠はなく、別の理由があることを明示している。
この「別の理由」については、次に述べる、瀬岡教授のケースで推察される。
B 瀬岡吉彦教授のケース
判決文のB教授とは、経済学部の瀬岡吉彦教授のことである。
★ 原告が瀬岡教授に電話で特任申請をされたかを確認した時に、次のように話された。
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特任教員推薦委員会では経済学部教授会に推薦するか否かで意見が分かれ、
50対50になり、経済学部出身の重森暁推薦委員長が、
瀬岡吉彦教授を経済学部に推薦しないとする方に投じられたためとのことである。
この結果については重森学長から瀬岡教授に直接話があり、
学長選挙における重森学長の推薦母体が経済学部であることから
瀬岡教授は、重森学長が推薦されなかったことを了承しており、
現在も良好な関係にあると話され、
特任教員任用については特に強い関心をもっていた訳ではなく、
自分の時間を大事にしたいなどと、話された。
この時に、瀬岡教授の勤続年数が5年であったことから、
旧規程の5年以上が、新規程では、本学に6年以上勤務と変更されたとのことである。
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★ 業績もある著名な瀬岡教授の特任を退けるに至った理由は何処にあるのか、
原告は、学長選挙の事実情報を以下に示し、その判断材料に供したい。
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・2004年10月15日、学長選第1次選挙結果、重森暁128票、梅原英二86票、渡辺泉46票
・10月29日に上位2名による第2次学長選挙が実施され、
実投票数185中121票で経済学部の重森暁教授が学長に選出されている。
・同じ10月29日、旧体制となる、渡辺泉特任推薦委員長のもとで推薦委員会は
里上教授、森田教授をそれぞれの教授会に推薦している。(乙28号証1)
< … 新体制となった重森特任推薦委員長のもとで … >
・森田寿一教授は、「教育上の問題」として特任推薦委員会の推薦が取り消され、
里上教授は、教授会が特任教授として認めたが、「大学人としての資質」を
欠くとして、新学期直前の3月末、理事会が特任教授の任用を取り消した。
・渡辺学長の学長補佐であった里上教授は、学長選挙の際、選挙管理委員長の立場で、
ご自身の推薦する渡辺泉前学長の選挙活動に力を入れられたが、
それが問題とされ、理事会が特任教授の任用を取り消した。
・一方、森田教授は当初、前学長の渡辺泉教授を推されていたが、その後、
瀬岡教授を学長候補として、その参謀を務められた、という経緯がある。
・森田教授(故人)は「教育上の問題」として特任推薦を却下されたが、
大学院委員長を2年務めるなど、教育、研究に業績のある立派な方であり、
単純に「教育上の問題」とみなせるかは疑義がある。
・瀬岡教授は、「教育上の問題」も、「大学人としての資質」も欠くことのない、
学外評価の高い、立派な教育・研究者である。
結論として、重森教授を学長に推した北村経営学部長と、渡辺前学長を押した里上教授、
瀬岡学長候補を押した森田教授、この学長選挙で勝利した重森教授が学長となり、
彼は、それに貢献した北村教授を副学長として遇し、
退職を迎えた3名、里上教授、森田教授、瀬岡教授は、
理事会、重森推薦委員長のもとで、特任教授の機会を逸した、と推認される。
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D)原告が評価する、Cの結論
結論として、この3名の方々は特任教員任用規程にそって、その手続きが踏まれ、
里上教授は、特任教員推薦委員会が推薦し、教授会が任用したが、
理事会が任用を取り消した。
森田教授と瀬岡教授は、推薦委員会が教授会に推薦しないという決定をする。
結論は、学長選挙に絡むパワーポリティクスのもとで、批判・評価の対象となり、
理事長、重森学長が、「例外中の例外」と話された里上教授のケースと同様、
森田教授と瀬岡教授は、学長選挙という特殊要因のもとで不採用に至った。
なお、
特任教員の機会を逸した3名は特任教員任用規程の手続きが踏まれているが、
原告は、被告井形・被告池島が申請書類を推薦委員会に提出しない、
推薦委員会で審議させない、という不法行為で特任任用機会を逸している。
参考: 森田教授に適用された特任任用却下の手続き
渡辺泉学長のもとで開催された最後の特任教員推薦委員会は、
森田教授を経済学部教授会に推薦することを決定。
⇒
(乙28-1)2004年10月29日、学長交替直前の推薦委員会で森田教授を教授会に推薦する
経済学部の重森暁教授が学長に選出された同日の経済学部教授会は、
森田教授の特任申請を継続審議とした。
⇒
@:(乙28-2)同日の教授会は、推薦委員会の森田教授特任推薦に異議を唱える
推薦委員会は、経済学部の森田教授に対し、
書類の不備として「3ヵ年講義計画」の再提出を求めた。
⇒
(乙28-3)2004年11月5日、重森推薦委員長のもとで、最初の推薦委員会が開催された
⇒
A:(乙28-4)2004年11月12日、教授会は、森田教授の「3ヵ年講義計画」を継続審議とした
⇒
(乙28-5-1)2004年12月2日、推薦委員会は、教授会の反対理由を実態調査すると決定
⇒
B:(乙28-5-2)2004年12月3日、教授会は、推薦委員会が森田教授の推薦再検討すると報告
森田教授の特任任用可否の審議が3回の教授会を経てなお継続審議となったため、
所定書類が整っているという事実のみに基づく推薦であったことから、
教授会、理事会には推薦の明確な根拠を示す必要があるため、
これまでの実績と授業計画について調査をし、
次回、特任教員推薦委員会に提示する、とした。
⇒
(乙28−6−1)2004年12月9日、推薦委員会は、森田教授の推薦をしないことを決定
⇒
(乙28−6−2)2004年12月10日、教授会は、推薦委員会が森田教授の推薦を取り下げたと報告